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ルノワールは有名な画家です。実際のルノワールはどういう人物だったのでしょうか?

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ルノワールはフランス人です。

ルノワールは1841年にフランスのリモージュで生まれたフランス印象派の画家です。

1864年に「踊るエスメラルダ」をサロンに出品して初入選してから画家としてデビューして行きますが、その後は入選と落選を繰り返していきました。

初期のルノワールの作品は、さまざまな画家の影響を受けている作品が多くなっています。

1870年に普仏戦争が勃発して召集されるものの、赤痢に掛かり除隊になり、その後フランス印象派の画家であるモネの自宅に頻繁に訪問し、印象主義の絵画を描くことが多くなってきます。

1881年には大作「舟遊びをする人々の昼食」を完成させています。

実はこの作品の左端には後にルノワールの夫人となるアリーヌ・シャリゴが描かれています。

1880年代以降、徐々に新古典派の巨匠であるアングルの影響を受け、やや冷たい色調に変化して行きますが、1890年代になると再びルノワールの特長である暖かみのある色調の絵画に戻り、裸婦画を数多く描いています。

1907年にレ・コレットと呼ばれている広大な土地を購入し、1919年にこのレ・コレットで亡くなっています。

ルノワールの絵画の代表作を紹介

ルノワールの代表作とはどのような絵画があるのでしょうか?まず1881年に描かれた「舟遊びをする人々の昼食」があります。

129.5cm×172.5cmの大作で、1882年の第7回印象派展に出品された作品です。

セーヌ河沿いのラ・ぐるぬいえーるにあるイル・ド・シャトゥーにあるレストラン「フルネーズ」のテラスを舞台にし、舟遊びをする人々の昼食の風景を描いています。

この作品にはルノワールの友人や知人が数多く描かれています。

後に結婚して妻となるアリーヌ・シャリゴ、フルネーズの経営者であるアルフォンス・フルネーズ、そしてが可能ギュスターヴ・カイユボットや女優のエレン・アンドレなども描かれています。

実はこの作品はルノワールが印象主義時代との決別をした作品であり、転換期における集大成としての作品として、ルノワールの4000点に上る作品の中でも最も重要といわれている作品にもなっているんです。

次に紹介したいのは「浴女たち(ニンフ)」です。

ルノワールが亡くなる前年に描かれた絵画で、絶筆にもなります。

ルノワールの息子の最初の妻であるアンドレ・ヘスリングをモデルとし、複数体の裸婦像が描かれています。

ルノワール自体も生涯最高の作品と位置付けていたようです。

ルノワールの気になる名言をまとめてみた

印象派の画家として大変有名なルノワールですが、実は名言も多いといわれています。

その名言を集めてみました。

「楽しくなかったら絵なんか描きませんよ」まさにだからこそルノワールは画家としてこれだけ活躍することが出来たのでしょうね。

さらに、「もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない」という言葉も残しています。

晩年は裸婦像を多く描いてきたルノワールらしいといえばルノワールらしい名言かもしれません。

また、絵についてはさらにこのような名言もあります。

「絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。

そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ」とにかく絵画を描くことが好きで好きでたまらないということが伝わってきます。

さらに、「私には規則や方式は一切ない。

裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。

その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ」と、ルノワールの目がどのように物を見て、そして描き出したのかが分かってくる言葉です。

ルノワールの子孫は何をしているのか?

フランス印象派の画家としてとても有名なルノワールですが、1875年に撮影されたといわれている写真を見ると、かなりのイケメンだったようです。

このルノワールの子孫というのは、どのような人で、どのような事をしていた人なのでしょうか?ルノワールには2人の息子がいます。

実はその二人の息子は画家ではなく、長男のピエールは俳優として、そして次男のジャンは映画監督としてそれぞれの道を歩いていました。

特に次男のジャン・ルノワールは有名な映画監督であり、脚本家であり、さらに俳優としても活躍しています。

ジャン・ルノワールが初めて監督を務めたのは、1924年で、カトリーヌ・エスランが主演する「女優ナナ」という映画で監督デビューを果たしています。

このカトリーヌ・エスランは父ルノワールの絵画のモデルを務めていた女性で、1920年にジャンと結婚しています。

「女優ナナ」は評価は高かったものの、興業的には失敗してしまい、父ルノワールの絵画を売って負債を支払ったという逸話があります。

ですが、その後は戦前期のフランス映画界を代表する映画監督となっています。


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